御神酒ができるまで お酒は、昔から「御神酒(おみき)のあがらぬ神はなし」といわれてきたように、神事には欠かせない存在です。では神様にお供えする「御神酒」はどのような課程を経てできあがるのでしょうか。知っているようで知らない日本酒の知識、このコラムを読んだ貴方は、お酒博士間違いなし! まず、日本酒を造るにはお米を作らなければなりません。そのお米も粳米(うるちまい)では無く、山田錦や吟吹雪といった「酒造好適米」(注1)といわれるお米が望ましいのです。 お米を収穫した後には、お米を精米しなければなりません。この精米歩合(注2)によって、大吟醸や吟醸、本醸造というようにお酒の種類が決まります。 次に、精米されたお米を洗い(米の表面の糠(ぬか)を落とす)、充分に水を吸わせた上で蒸します。この蒸し米は、麹(注3)・酒母(注4)・仕込み用へ3つに分けられます。この麹・酒母・蒸し米と水を合わせて、仕込みをします。普通は4日かけて3回に分けて行われますが、これが「三段仕込み」というものです。 1日目は酒母と同じ量の麹米、蒸し米、水を仕込みます。これを「初添え」といいます。2日目は「踊り」といって1日休みで、この時に麹と酒母が増殖します。3日目は酒母と初添えの仕込み量の倍量の麹米、蒸し米、水を仕込みます。これを「仲添え」といいます。4日目は仲添えの倍量の麹米、蒸し米、水を仕込みます。これを「留添え」といいます。 この仕込みタンクの中で、「でんぷん」から「糖」へ、そして「アルコール」への変換が進み、もろみになります。この変換をひとつの過程で同時にやってしまうのは、日本酒だけの様です。この後、熟成したもろみを絞り、酒粕と白濁した酒に分けます。これが「生原酒」で、この時点ではまだ酵母が生きています。それを濾過・火入れ殺菌・割り水し、貯蔵したものが我々が普段「御神酒」に使う清酒です。 この様に手間暇かけて日本酒は造られるのです。日本酒って奥深いですね。 注1)酒造好適米日本酒造りに必要な米の成分はデンプン質で、その他のタンパク質や脂質などは雑味の元となる。そのため、酒米として用いる米は、食用の米より多く精米し、糠を削り落とす。この作業を醸造用語で「磨く」という。酒造好適米は、中心部の白色透明な心白(しんぱく)という部分が大きい。心白はデンプンが少なく柔らかい部分で、麹菌の菌糸が中に伸びやすく強い酵素力のある麹ができる。酒母、もろみでの糖化もよい。酒造好適米は、この心白が大きいほか、米自体も大粒で割れにくい米である。主な酒造好適米は次の通り。山田錦、愛山、八反錦、山田穂、五百万石、備前雄町、美山錦、神力、亀の尾、八反35号、吟吹雪等。創立60周年記念事業で使用したのは、吟吹雪。 注2)精米歩合白米のその玄米に対する重量の割合。精米歩合60%というときには、玄米の表層部を40%削り取ることをいう。●計算式→白米重量(?s)÷玄米重量(?s)×100=%米の胚芽や表層部には、タンパク質、脂肪、灰分、ビタミンなどが多く含まれ、これらの成分は、清酒の製造に必要だが、多すぎると香りや味を悪くする。精米はこれらの成分を減らす作業。ちなみに家庭で食べている米は、92%程度の白米(玄米の表層部を8%程度削り取る)である。 注3)麹麹は蒸した米に麹菌というカビの胞子を振りかけて育成させたもので、これを「米麹」といい、通常単に麹と呼ぶ。麹はお米のデンプンをブドウ糖に変えるという大変重要な役割を担っている。「一に麹ありき」とされ、良い麹ができればお酒造りの7割は終了といわれるほど、麹造りは重要であり、味にも大きな影響を与える。数ある麹菌の中でも酒造りには「黄麹菌(きこうじきん)」という種類の菌を用いる。この他麹菌には黒、白、赤などの種類があり、黒は泡盛、白は焼酎、赤は紹興酒などに用いられる。 注4)酒母(しゅぼ)アルコール発酵を行う酵母という微生物を小さなタンク内で大量に培養した液のこと。乳酸も大量に含まれていて、酵母を外敵から守っている。ブドウ糖をアルコールに変えることから、これを酒の母と書いて酒母(しゅぼ)と呼んでいる。なお、酵母の数は「cell」(セル)という単位で呼ばれている。
日本人と稲作
日本人と稲作について 日本への稲作文化の伝来は、遥か縄文時代中期に遡ると言われています。以来、日本人は稲作をその生活上の基盤とし、農耕民族としてその悠久の歴史に於いて大切に受け継がれてきたのです。 日本人が、稲作或いはお米というものを、他のどんな作物や産業よりも重要なものと位置付けていたことは、税制度に目を向けるとよく分かります。古代においては「租」、中世・近世では「年貢」と言葉は変わりますが、その年毎の税はすべてお米によって納められていたのです。このような税体制を敷いたのは世界でも稀だと言われています。 税というとあまり良い印象を抱かない人々が多いかもしれませんが、国家政策上の基幹的制度の一つにお米が組み入れられていたことは、当時の人々にとって、稲作・お米というものが国家の趨勢を左右するほどに重要なものであったことが窺い知れるわけです。 また、明治時代以降には、現在私たちが食べているような、美味しいお米が作られるようになるまで、品種改良などの様々な努力が行われたことも忘れてはなりません。 元々、お米(稲)という植物は温暖湿潤な気候の土地での生育に適しているものであり、日本のような寒暖の激しい気候風土の土地での栽培には本来適さないものです。 現在、北海道や東北・北陸地方が米栽培の主要な地域として挙げられますが、それを実現するためには多くの人々の労苦と努力があったことを忘れてはならないと言えるでしょう。 それは現在、私たちが毎日の食事に御飯(米飯)を当たり前のように食べていることも同様で、そのために沢山の米農家の方々が大変な努力をなさっていること、冷害や日照りといった季候による影響、それらが原因で稲が病気になったりもします。 そういった悪条件は、人間の力ではどうにもならないことが多かったり、予測出来なかったりするものが多いですから、お米を育てるということは大変な苦労と努力をしなければならない。それを強いてまで、お米を育て、私たちの食卓へと届けてくれる米農家の人々には、感謝してもしきれないものがあります。 私たち日本人が、遠い昔から稲作・お米というものを大切にしてきたことは最初に述べました。そういった日本人のお米に対する尊敬の態度というものは、神話の中にも語られています。 先ず挙げられるのが『日本書紀』神代上「天孫降臨」段に於いて、天照大御神が皇孫瓊瓊杵尊に授けられた「斎庭稲穂の神勅」です。 この神勅を以て稲作は我が国の人々が生きてゆく上で最も大切な生業として重視されていたことが分かります。また、それによって得られるお米は、神様が食される神聖な食物であると同時に、私たちが生きてゆく糧として、いわば「生命の根源」として、今日まで大切に受け継がれてきたのです。 そのことは国学者の本居宣長が稲を「命根」、つまりは「生命の根源」と評したことからも明らかでしょう。 また、現在でも宮中や神宮では、新嘗祭や神嘗祭といった神様へ新穀の稲・粟を奉る祭祀が、その年中で最も重要な神事として絶えることなく執り行われていますし、全国の神社でも五穀豊穣を祈念する或いは稲作に関る神事が執り行われています。 神道祭祀に於いて神に供進する神饌の最も上位はお米であり、それは塩と水とともに絶対に欠かしてはならないものと定められています。ご家庭に神棚をお祭りしている人であれば、毎日欠かさずその三種を神前にお供えしているでしょうから、お分かりになると思います。 稲作文化、或いはそれによって得られるお米は、古来神様からの賜物と考えられてきました。それは、私たち日本人にとって国家・民族の宝物と評してもよいものと言って良いでしょう。それは、皆さんの大多数が「御飯」という普通名詞を出したとき、お米を炊いた真っ白な「ゴハン」を先ず連想することからもお分かり頂けると思います。 現在、世の中では「食の安全」や「食育」といった、「食」に纏わる言葉が頻りに飛び交っています。安全な食べ物を口にすることは勿論大事なことと思います。安全な食品、食物の生産などの過程を知り、「食」への理解を深めることも大事でしょう。 しかし、もう一つ大切にしてほしいものとして「食の多様化」という言葉に隠れて、粗末にされる日本の大切な「食文化」が挙げられます。 それは、メディアを媒介として持て囃されるような華やかなものや、またダイエットや成人病予防に効果があるといった理由で「健康食品」として重宝されるような、流行り廃りのものであってはならないと思います。 日本の伝統・文化としての「食」の継承が大切なのであり、勿論その中心には「お米」が据えられるべきでしょう。悠久の歴史の中で、日本人が大切に伝えてきた稲作文化と米文化は、私たちの子孫へ健康に良いといった間違ったかたちで受け継がれてはならないものです。 「生命の根源」としてのお米、それを得るための生業としての稲作、その在るべき形を壊すことなく守り伝えてゆくこと、それが大切だと思います。 それは決して、農業に従事する人々だけが経験として語るものでも、体験学習での農作業から学び得ることに限定されないと思います。「食」即ち「生命の根源」に対する感謝や、それを作ってくれた人々への感謝の心というものを、ご家庭で食事をしながら話すことも十分に果たされると思います。 現在、盛んに唱えられている「食育」という言葉は、決して学校教育に限られるものではなく、寧ろ各家庭がその教育の場になってこそ、初めて意味のあるものになるのです。大袈裟な言い方をすれば、将来私たちの子孫が祖国の伝統・文化を大切に守り、その継承・発展に真摯に取り組めるかも、こういった点に関っているのではないでしょうか。
記念事業計画
滋賀県神道青年会 創立60周年実行委員会記念事業計画 【主な概要と目的 】 活動方針 当会は昭和二十四年、未だ占領下にあった時代、近畿地区唯一の青年神職協議会として設立されました。以後も連綿と先輩諸賢のご尽力により継承発展を続け、平成二十一年に創立六十周年の節目を迎えます。 そこで、平成十八年、当会に特別委員会「創立六十周年準備委員会」を発足。審議を重ね「創立六十周年実行委員会」に改編、設置しました。同委員会では「ありがとう~感謝のこころを伝えよう~」を主題とし、種々計画を推敲してきました。本年からは、全会員で計画を具体化し、順次実行していきます。 この主題には、神への感謝はもちろんの事、関係各位や先輩諸賢を始め人への感謝、自然の恵みなどをありがたく感じ謝意を表すことを忘れない「こころ」を、私たち会員自身があらたにすること、併せて後進や子供たち、さらにより多くの人々に伝えたいという意味を込めています。 先ず、主な事業として「お米づくり・お酒づくり」を計画しています。日頃御神前に奉るお米の栽培及びお酒の醸造過程を一貫して体験するのに併せて、青年神職として各課程において祭祀を厳修することで、神や自然を感じ、素養を深め、その本義を習得したいと思います。また、会員家族や子弟、関係者と共に体験することでこのことを伝えていきたいと思います。出来上がったお米、お酒は平成二十一年七月に予定の六十周年奉告祭において神饌として奉献し、同記念式典等において記念品として活用する計画を進めています。その他の記念事業として、記念誌の発行、ホームページの作成などの計画をもしています。 私たち会員は御縁によりこの節目の佳年において時を共有できました。この御縁を嬉み、同時に、先輩諸賢が築いて来られた御功績に感謝をしつつ、共に祝い、この慶事を全会員の努力によって成功させ、当会の新たな歴史を刻んでいきたいと思います。大いに盛り上げ、楽しみつつ事業を納められるよう協力をお願いします。 お米づくり 大津市内の棚田3反をお借りして、田植~稲刈までの作業を体験する。 お米づくりを実践することにより、神道・日本文化そのものと言える稲作文化について再確認し、教養を身に着け、今後の神職としての活動に生かせるようにする。 この作業により四季の変化を肌で感じ、そこにあるたくさんの自然と接することにより、自然の恵みへの感謝を改めて実感し、自然の中で生かされていることを再認識する。 米づくりを通してその都度神事を行い、人間に米づくり、米を食べることを教えてくださった神様や自然の恵みに感謝し、米づくりの無事、豊作を祈念するなど、実際に行う農作業を通して神事に対する「こころ」を更に磨き、そこで学んだ「こころ」によって、日常の奉務神社にての神事も更によりよい意味深いものとなるようにする。 神事を通して、祭式や作法を再確認する機会とし、奉務神社にての日頃の神事においても生かせるようする。 この農作業と神事の両方を実践することにより、神観念を磨き、これを基に氏子崇敬者への信仰・神事の大切さの教化活動を更に図るようにする。 米づくりを通して、その苦労や喜びを実感し、その上で、現役農家さんの意見も交えながら我々神職からの視点をもって現代の農業が抱える問題点などについて、意見交換を行い、将来のあるべき姿を考える機会とする。 実った初穂の一部を、県内の別表神社に奉納する。 この活動により、会員同士の更なる連携・親睦を図る。また、会員の家族にも参加を呼びかけ、特に子どもたちに貴重な経験を与えることにより、体験学習及び思い出の場となるよう提供する。 お酒づくり お米づくりにて、栽培し実ったお米のほぼ全てを使用し、お酒を造る。これは藤居本家様の協力を得て行う。 造ったお酒は、記念式典の祭典はじめ、各種神事にお供えする。また、記念式典などの記念品としても使用する。 お酒造りを行うことにより、お米からお酒ができるまでの一連の工程を学び、日本独特の伝統文化であるお酒について、実践をもって確かな知識・教養を身に着ける。 お酒づくりを通してもその都度神事を行い、お酒づくりにおいての祭式等を学ぶ機会とし、奉務神社にての日頃の神事においても生かせるようする。 この作業と神事の両方を実践することにより、神観念を磨き、これを基に氏子崇敬者への信仰・神事の大切さの教化活動を更に図れるようにする。 お酒づくりを通して、その苦労や喜びを実感し、神道・日本文化と日本酒の関わりについて学び、日本酒の素晴らしさ大切さを広く伝えられるようにする。 職人さんの意見も聞きながら、現代のお酒にとっての様々な問題点などについて、意見交換を行い、お酒に対して神社界ができることなどについて考える機会とする。 この活動を通して、実際に様々な作業を経験するとともに、楽しい催しも企画し、会員同士の更なる連携・親睦を図る。また、会員の家族にも参加を呼びかけ、特に子どもたちに貴重な経験を与えることにより、体験学習及び思い出の場となるよう提供する。 ホームページ作成 滋賀県神道青年会の説明や活動年表を取り込み、現役の会員やOB会員はじめ、他県の青年会員や一般の人々が、現在の活動状況や過去の活動について閲覧できるようにし、相互理解を深め、当会の活動を幅広くアピールする場とする。 創立60周年事業についても、各事業の進捗状況などを随時掲載し、相互理解を深める。 一般の方々向けには、神道教化的なコンテンツを随時作成していく。 記念誌作成 50周年時に作成された記念誌以来10年ぶりの発行。 過去10年分の活動内容や、諸先輩方の寄稿を掲載し、充実した内容とする。 記念講演 講師にパラリンピック・アスリートの佐藤真海氏をお迎えし、記念式典に併せ今回60周年のテーマである「ありがとう。感謝の心を伝えよう」に沿った内容の講演会を開催する。 ■佐藤真海氏 講演内容 【演 題】夢を跳ぶ ~“ありがとう”が輝かせる『夢』、そして『命』~ 【プロフィール】早稲田大学入学とともに入部した応援部チアリーダーズで活躍していた2001年冬、骨肉腫を発症、2002年4月に右足膝下を切断し義足の生活に。治療とリハビリを経て、2003年1月からスポーツを再開し、走り幅跳びでアテネパラリンピックの出場(9位)。2006年のワールドカップでは銅メダルを獲得するなど、実績を積みながら北京パラリンピックへの切符を掴み連続出場を果たす(6位)。 記念式典 平成21年7月22日(水)琵琶湖ホテルにて開催致します。 記念式典に先立ち、大津大神宮にて奉告祭を執り行います。
式典と活動のようす
【禊】 ~清き心を取り戻す~ 過去に先輩方は幾度となく県内各所において禊を実施してこられました。5月27日、神の島と呼ばれる竹生島で再び会員一同が一丸となって禊を行いました。竹生島での禊は35年ぶりとなり、神聖な場所で心身を祓い清めると共に、琵琶湖の穢れ・禍事も祓い、安全を祈願しました。テレビニュース等でも紹介され、広く全国に禊の意義を伝える事ができ、会員の士気を高める機会となりました。 【創立65周年記念式典】 7月10日、滋賀県神社庁にて「滋賀県神道青年会創立65周年記念式典を行いました。初めに大津大神宮にて報告祭を斎行し、その後記念式典、懇親会を開催し、滋賀県神社庁長 岳尋幸様、参議院議員 有村治子様を始め、多くのご来賓、OB会の先輩方にお祝い戴きました。 【国旗啓発活動】~愛国心を取り戻す~ 9月20日、草津駅前にて、例年開催している交通遺児募金活動に合わせて、国旗啓発活動を行いました。「心に、いつも日の丸を。」と書かれた風船と神社本庁作成の国旗国家ハンドブックを配布し、親しみやすい方法で道行く人に呼びかけました。 【設置し易い神棚の開発】~家庭奉斎の姿を取り戻す~ 若い世代を対象に現代の住宅事情に合った設置し易い簡易神棚の開発に取り組みその普及に取り組んでおります。神宮大麻や氏神様など、複数の御神札がお祭りでき、押しピンや両面テープで簡単に取り付けることができ、破魔矢も飾る事ができます。壁に付けてもよし、置いてもよし、二通りのまつり方ができるように考えました。
記念事業について
滋賀県神道青年会 創立65周年実行委員会記念事業計画 【主な概要と目的 】 活動方針 当会は、昭和二十四年の未だ占領下にあった時代、混沌とした世の中にあって、「国体の護持・道義の復興・神社神道の興隆」を目指すべく、先輩諸氏の心血注いだ御尽力により、近畿地区唯一の青年神職協議会として設立されました。以後も先輩諸氏は若い力と情熱を結集し、連綿と当会の継承発展を続けてこられました。現在も約百余名の会員が諸活動に励んでおり、本年は、創立六十五周年の節目を迎えます。 私ども会員は、この節目の年を契機に先輩方が築いてこられた御功績に感謝をしつつ、あらためて当会の存在意義を確かめ、設立時の初心や先輩諸氏が繋いで来られた熱意を失うことなく次の七十周年へと次世代に継承されて行くよう事業を立案・実行し、より良い国造りに邁進して参りたいと考えております。 そこで、私どもは「創立六十五周年実行委員会」を組織し、日本の伝統的精神文化が失われつつある現在の世の中において、我々青年神職が今なすべきことは何かを考え、「日本の心を取り戻す」を主題と定め、主に ・禊(みそぎ)・国旗掲揚啓発活動・設置しやすい神棚の開発 の事業を計画し、実施に向けて協議を重ね準備を進めております。 上の事業の内、「禊」と「国旗掲揚啓発活動」は過去に先輩方が行われていた活動であり、今一度その意義を再認識し、この度復活させることになりました。この他にも記念の研修旅行なども計画し、通年の活動である神宮大麻頒布活動や交通安全祈願祭などと共にこれらの記念事業に取り組んで参ります。 また、平成二十六年七月十日には記念式典を予定しております。 以上、私ども滋賀県神道青年会の創立六十五周年記念事業に関する趣意を御理解賜り、何卒本事業を完遂させて戴きたく、御支援御協力を下さいますようお願い申し上げます。 禊(みそぎ) 清き心を取り戻すべく、我々青年神職が琵琶湖で禊を行い、滋賀県神道青年会の士気を高めると共に、一般の方々にも禊を体験してもらい、マスコミにも取り上げてもらえるよう努めて、禊の意義を広く伝える機会となるよう取り組みます。 国旗掲揚啓発活動 国を愛し国旗を尊ぶ心を取り戻すべく、その意義を広報し、特に家庭や身近な場所においての国旗掲揚の普及に取り組みます。 設置しやすい神棚の開発 家庭においての神宮大麻をはじめとした御神札奉斎の姿を取り戻すべく、現代の住宅事情に合った御神札をお祀りするための設置し易い棚を開発し、その普及に取り組みます。 記念式典 平成26年7月10日(木)に開催致します。
年間事業
一年を通じての活動内容をご紹介いたします。下記以外に、神道青年近畿地区連絡協議会・連絡会などに参加、各種研修会・交流会を実施しております。※年ごとに実施月が前後する行事もございます。 4月 滋賀県護国神社春季例祭奉仕・参列神道青年全国協議会:定例総会 5月 会計監査会定例総会 6月 神道青年近畿地区連絡協議会:定例総会・研修会滋賀県氏子青年協議会:定例総会神道青年近畿地区連絡行儀会:野球大会 7月 滋賀県神社庁神職子弟の集い「ともしびの集い」助勢神道青年近畿地区連絡協議会:禊・鎮魂錬成研修会 8月 滋賀県護国神社みたま祭参列(14日)家族会 9月 交通安全祈願祭・交通遺児募金活動 10月 滋賀県護国神社秋季例祭奉仕・参列滋賀県神社関係者大会助勢神道青年近畿地区連絡協議会:皇室関連施設清掃奉仕神道青年近畿地区連絡協議会:戦没学徒追悼祭 12月 神宮大麻頒布活動忘年会 1月 神道青年近畿地区連絡協議会:一・二七御堂筋パレード新年会 3月 教誨事業みおや祭助勢・奉仕
戦後未曾有の混乱と神社本庁の設立
昭和20年、未曾有の変革に遭い、皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉斎会等神社関係者は、国家の管理を離れた今後の神社護持の対応を相議り、神祇院総裁もまた爾後の措置をこの三団体に委ねた。 12月15日、神道指令が発せられ、神社と国家との分離は、神社関係者の予想を越えた厳しいものであった。 12月28日、宗教法人令公布。さらに昭和21年2月の改正で、新団体も、同令による宗教法人となる道が与えられた。 神祇院は、昭和21年2月2日、幾多の神社関係法令とともに廃止され、神社の国家管理は終わった。翌3日、神社関係者の総意により全国神社を結集して、改正された宗教法人令に基づく宗教法人として、神社本庁は設立された。神宮を本宗と仰ぎ、かつて国家が行なってきた神社の保全、道統護持の役割を実質的に引き継いだのである。 滋賀県神社庁の設立 我が県においても、中央の動きを凝視しつつ、その対策について協議され、県下一致団結して中央において組織される新団体に加盟する方針を決め、昭和21年1月14日、滋賀県神社庁設立準備委員会が開催され、設立総会を開くことを決定。 1月30日、神職会館において設立総会を開催、滋賀県神社庁庁規並びに同維持財団寄附行為について審議可決。庁規は直ちに神社本庁に認可申請、2月8日付承認。維持財団寄附行為は1月31日付登記完了。庁規により神職会各支部を神社庁支部と改める。(15支部)2月14日、第1回協議員会を開催し、庁長以下役員が選出され、開庁に伴う事務機構が整備された。 4月24日、神職会館神殿において平田庁長斎主となり開庁奉告祭を執行、引き続き臨時協議員会が開催され、予算の追加更正、幣帛供進、神社規則制定等の案件を協議決定。 勅令70号をもって改正せられた宗教法人令により、従来より神社明細帳に記載の神社は、神社規則を作成することとなり、県下一斉に着手。7月21日、事務完了につき奉告祭を執行。神社規則承認書、階位証、宮司禰宜等の辞令の伝達式が執り行なわれた。(規則承認1657社) 「滋賀県神社誌」(昭和62年12月20日発行)より抜粋
活動のあゆみ
滋賀県神道青年会発足から、現在に至るまでの活動内容がご覧になれます。 昭和24年 7月近畿地区唯一の青年神職協議会を全国に先駆けて結成 昭和26年 9月滋賀県神道青年協議会に名称変更 昭和41年 2月建国記念日法制化湖国一周パレード…建国記念日法制化を祈願し、湖国著名神社に自動車15台で参拝11月 会報を「鳰の湖」と決定する 昭和46年 4月滋賀県神道青年会に名称変更 昭和48年 9月交通安全祈願祭斎行 於琵琶湖大橋…本年以降継続事業 昭和49年 2月国旗掲揚啓蒙パレード 於彦根市…昭和61年まで継続事業 昭和54年 【創立30周年を迎える】 6月創立30周年記念式典 於多賀大社 昭和55年 10月滋賀県護国神社秋季例祭助勤…本年以降継続事業 昭和56年 4月滋賀県護国神社春季例祭助勤…本年以降継続事業 昭和57年 12月神宮大麻啓蒙運動 於大津市 昭和59年 6月神道青年全国協議会創立35周年記念大会に於いて、勝見秀憲先輩が表彰を受ける 於神社本庁 昭和60年 8月「神職子弟の集い-ともしびの集い」助勢 於神社庁…本年より継続事業 昭和63年 8月第15回交通安全祈願祭 於琵琶湖大橋 平成元年 【創立40周年を迎える】 7月創立40周年奉告祭 於近江神宮創立40周年記念式典 於大津プリンスホテル10月 (5日)大嘗祭署名活動 平成 3年 9月(18日)交通安全祈願祭並びに交通遺児のための募金活動…募金活動、本年より継続事業 平成 5年 12月(11日)皇太子殿下御成婚記念植樹 於小汐井神社境内(11日)神宮大麻頒布活動 於草津市新興住宅地…本年以降継続事業 平成 6年 【創立45周年を迎える】 7月創立45周年奉告祭 於近江神宮10月 (28日)天皇皇后両陛下行幸啓警備助勢 於近江神宮 平成 7年 【阪神淡路大震災勃発】 全国、近畿地区の青年神職が連携し、復興活動を行う 6月 (19日~21日)終戦50年「沖縄慰霊の旅」参加 於沖縄・近江の塔9月 (5日~6日)終戦50年記念事業「??國神社・武蔵野御陵参拝」 於??國神社・武蔵野御陵 平成11年 【創立50周年を迎える】 7月(10日)創立50周年奉告祭 於大津大神宮(10日)創立50周年記念式典 於琵琶湖ホテル12月 (20日)財団法人おりづる会より感謝状を受ける…平成3年より継続事業/交通遺児募金に対して 平成12年 3月(23日)鎮守の森啓発ポスター県内神社へ送付『神々の酒肴』県内公共図書館、教育機関へ寄贈…53箇所(29日)東儀秀樹コンサート(周年事業)収益金を緑の基金(財団法人 滋賀県緑化推進会)へ寄付 於滋賀会館北館4月 (22日~23日)神道青年全国協議会定例表彰式・優秀事業賞受賞「環境保全・記念植樹活動」 於日本青年館 平成15年 9月(6日)拉致早期解決と日本教育の再生に向けて~講座と展示~助勢…【講師】横田 滋氏・早紀江氏 【演題】「ブルーリボンに願いを込めて」 於滋賀会館大ホール 平成16年 【創立55周年を迎える】 4月神道青年全国協議会創立55周年記念式典・第56回定例総会において、田村英治先輩、稲毛友幸先輩が表彰を受ける(22日~23日)平成5年より継続事業、神宮大麻頒布活動が優秀事業賞を受賞 於明治記念館・神社本庁7月 (10日)創立55周年奉告祭 於大津大神宮(10日)創立55周年記念大祓式 於大津港 平成17年 8月(14日)終戦60年記念神道青年全国協議会並びに滋賀県神道青年会…玉串料奉納式・みたま慰めの舞奉仕・みたま祭参列 於滋賀県護國神社 平成18年 1月(19日)拙速な皇室典範改正を阻止する決起集会 於憲政記念館 平成19年 10月(10日)天皇皇后両陛下提灯奉迎活動 於琵琶湖ホテル…
滋賀県神道青年会とは
私たちは、滋賀県内の若い神主さんの団体です。年齢満40歳までの男女約120名で構成されています。会員の中には、他の仕事をしながら神主さんをしている人もいます。会員の環境や境遇は様々ですが、皆「○○神社の神主さん」です。神主さんには神社をお守りする責任があり、神社の歴史やおまつりの作法等、様々な知識と教養が必要とされますし、神社をお世話いただく地域の方々とも密接な関係を築いていかなければなりません。私たちは会員同士お互いに連絡を取り合い、勉強し合い、知恵を出し合って様々な活動を行い、日々努力を重ねています。 私たちの先輩は戦後、日本の古き良き伝統や日本人の良心が失われつつあるという変化にいち早く気付き、神社を通して日本の国を建て直し、自らの行動によって明るい社会作りをしようと、昭和24年7月に全国に先駆けて滋賀県青年神職協議会を発足させました。以来、敬神生活の綱領 一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと一、世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと一、大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること を実践するため数多くの事業を行い、平成21年には創立60周年を迎えます。
神宮大麻
その伊勢の神宮のお神札を神宮大麻(じんぐうたいま)といいます。大麻とは、古くは「おおぬさ」と読み、祈りがこめられるお神札の大切な部分(麻串・ぬさくし)に由来する歴史のある言葉です。 また昔から、「お伊勢さん」「お祓(はら)いさん」とも呼ばれています。「天照皇大神宮」の神号に神さまの印と大神宮司の印が押され、清浄を第一に数々 のお祭りを経て伊勢の神宮で奉製されています。毎年暮に全国の氏神さまを通じて各家庭に配られる神宮大麻は、氏神さまや他の崇敬する神社のお神札と共に神 棚にお祀りします。 神宮大麻の起源は、平安時代末期にまでさかのぼり、御師(おんし)・大夫(たゆう)と言われる人々が全国の崇敬者に、「御祓大麻(おはらいおおぬさ)」 「御祓いさん」などの名称で頒布していたお神札に求めることができます。 御師は神宮に奉仕する神職であると同時に、全国から多くの崇敬者の真心を受け入れ、参宮の案内や自邸の神楽殿での神楽や祈祷を行っていました。この御師が、崇敬者のためにお祓いし、祈祷をこめて全国に頒布した「御祓大麻」が現在の神宮大麻の起源です。御師の活動により、江戸時代後期の安永年間には、全国世帯の約九割が大麻を受けていたという記録もあります。 明治維新に伴う制度改革により、明治五年より神宮大麻は、神宮司庁により奉製頒布されることになりました。明治天皇の大御心(おおみこころ)のもと、国 の隆昌や国民の平安を祈り上げた「神宮大麻」が、神宮の大御璽(おおみしるし)として、全国の家々に頒布されることとなったのです。 その後数度の変遷を経て、現在神宮大麻は、昭和21年に設立された神社本庁が神宮司庁から全面委託を受け、全国約八万の神社の神職・総代等によって各家 庭に頒布されています。